ふるたち

ふるたちです。

Ghost of Tsushima プレイ日記(その壱)

小茂田の海岸には数えきれぬほどの蒙古の軍船が押し寄せていた。丘の上から対峙する対馬の侍は僅か八十。

「俺は、ここで死ぬるのか」

海岸を見下ろしながら、境井仁は思った。死ぬのが怖いのではない。冷静に彼我の戦力を見定めた結果、己が生き残る可能性が無いことに気づき、それが不意に言葉となったのだ。武士として己を厳しく律してきた境井にとって惜しむべきは命ではない。誉れこそ惜しむべきものだ。俺は、これから敵軍に突撃する。やがて敵の刀が、矢が、あるいは、あの謎の燃える投擲弾が俺の命を奪うだろう。それまでの束の間で、どれだけの敵兵を切り伏せることができるか。いや雑兵など構うものか。できれば、名のある敵の侍大将に正々堂々の戦いを挑み、見事その首級を挙げたいものだ。境井は華々しい己の最期を想像して身震いした。

境井の跨る愛馬が足踏みをして小さく嘶いた。境井は我に返り、横に並ぶ志村殿に目をむけた。志村殿は境井の叔父であり対馬を守護する地頭である。これから境井たちに突撃の号令を下す総大将でもある。立派な水牛の脇立てをあしらった兜の下で、志村殿は武士らしく感情を少しも見せず、静かに眼下の蒙古軍を見据えている。

境井は、かつて刀の稽古の後で叔父と交わした会話を思い出していた。

「当家の武士は規律を重じてきた。その規律とは何かわかるか」

「主への忠義、己を律すること、そして、誉れ」

「誉れとは」

「一朝事あらば勇猛に戦い境井の家を守る事、です」

「それは、お前の父の言葉であろう。お前にとっての誉れとは何だ」

若き日の境井は困惑した。亡き父の教えには全て答えがあった。それらを記憶し正しく答えれば、それで褒められてきた。だが、この叔父は違った。自分の頭で考えることを要求している。境井は叔父が投げかけた問いを心の中で繰り返した。誉れとは何か。それは己の命よりも大事なもの。俺にとって命より大事なものとは。

「それは」

境井は思い出した。何のことはない、常日頃から心に決めていたことだった。そうか、俺の為すべきこと。それが誉れか。

「民を守ること。おのれを守れぬものらを」

境井は再び海岸に目を向けた。我らを倒した後で、蒙古どもは近隣の村々を蹂躙するだろう。あるものは斬り殺され、別のものは捕らえられて奴婢にされる。そんなことを許すわけにはいかない。しかし、この状況では勝ち目はない。ならば、どうするか。時間を稼ぐことだ。すでに蒙古襲来の急報は各所に飛んでいる。ここで我らが命を投げ打って敵の侵攻を遅らせることができれば、すぐに太宰府から、やがて京都から、いずれは鎌倉から御家人衆が馳せ来て蒙古軍を蹴散らしてくれるだろう。そうすれば島の民は助かる。

境井は覚悟を決めた。俺に華々しい最期など必要ない。命の限り敵と戦うこと、侍の勇猛さを見せつけて敵軍の侵攻を遅らせること。それが、俺にとっての誉れだ。

「安達殿」

志村殿が傍の武士に声をかけた。

「奴らの意気をくじいてまいれ」

安達殿は馬を走らせて丘を降り、敵軍の集まるところへ躍り込んで行った。一騎討ちを申し込むのである。一騎討ちとは古来からの武士の慣しで、両軍の名のある武将同士で一対一で戦うことである。武士にとって最高の名誉の場であるだけでなく、敗れた側は有能な武将を一人失うこととなるため、戦いが始まる前に勝敗を大きく左右する。総力戦で無駄に血を流すことなく決着をつける合理的な手法とも言える。

「遠からんものは音に聞け、近くば寄って目にも見よ。我こそは安達晴信。かの安達義信が五代の末裔なり。腕に覚えのあるものがあらば、我が面前に出でよ」

安達殿が腹に力のこもった大音声を発する。安達家は対馬随一の武門の家である。作法に則った安達殿の名乗りは場を圧倒する迫力に漲っていた。言葉を解さない蒙古の兵さえも後退りするほどであった。すると、言葉を解したのかどうか、一人の偉丈夫が歩み出てきた。顎髭を蓄え立派な鎧を着込んでいる。その鎧には遊牧民らしく毛皮の装飾が施されていた。蒙古軍の侍大将、いや、ひょっとすると総大将なのかもしれない。酒でも呑んでいたのか、大きな椀を右手に持ったままだ。

「いざ、尋常に勝負せよ」

相手に不足なしと見た安達殿が戦いを申し込む。すると、その偉丈夫は右手を揮って椀の中の液体を安達殿に浴びせかけた。敵の無礼な行いに安達殿が言葉を失っていると、次に偉丈夫は傍の男から松明を受け取り、それを安達殿に投げつけた。

「ーーー!!」

安達殿の体が炎に包まれた。椀の中の液体は油だったのだ。

「何!?」

境井たちは憤ったが、遠くからでは見ていることしかできない。偉丈夫は別の男から長刀を受け取り、火を消そうをもがく安達殿に向かって長刀を一閃させた。安達殿の首が宙を飛び、まだ燃え続ける身体は砂浜に倒れ伏した。

「サムライどもよ!」

偉丈夫は、安達殿に負けぬ大音声をあげた。

「我に、降るか!」

やや訛りはあるものの流暢な言葉で、その蒙古の偉丈夫は降伏を迫ってきた。これまで感情を押し殺していた志村殿の顔に微かな怒りの色が滲む。

「誉れなきものに情けは無用。者ども、かかれ!」

志村殿の号令一下、弓兵が火矢を浴びせかけ騎兵が突撃を開始する。俺も愛馬の腹に蹴りを入れて敵陣に向かって丘を駆け下った。敵軍からは火矢とともに、奴ら自慢の投擲弾が発射された。それは地面に着弾するや怖ろしいほどの轟音を挙げ、周囲のものを吹き飛ばした。直撃すれば身体は木っ端微塵となるだろう。俺は必死で愛馬を走らせながら、もはや生きた心地がしなかった。己の身体が己の身体ではないような感覚がする。これは現実の出来事なのか。それとも、夢なのか。あるいは、面妖なカラクリが作り出した幻なのか……。

ふと気づくと、俺の手には手綱ではなくPlayStation 4のコントローラーが握られていた。そうだ、これは最近話題のゲーム『Ghost of Tsushima』だ。俺は境井仁ではなく、コロナ自粛で暇を持て余したおっさんだ。目の前にあるのは、液晶ディスプレイに映し出されたコンピューター・グラフィックスだ。オープニング映像のあまりの出来栄えに、思わず没頭してしまっていた。

我に返った俺は、試しに右スティックを動かしてみた。カメラが動いた。次に、左スティックを動かしてみた。画面の中の境井の愛馬が進路を変えた。もうゲームが始まっている!

俺は慌てた。まだ操作方法が分からない。俺は幼き頃に任天堂ファミリーコンピュータに出会ってから数々のゲームを嗜んできた歴戦の古参ゲーマーである。ゲームを始めるまえに説明書を熟読し、コントローラの操作方法を確認しておくのは基本中の基本だ。しかし、近年のゲームには説明書が付いてこない。その代わりに、ゲームの冒頭に丁寧なチュートリアルが用意されている。そこでゲームの基本操作を学ぶのである。

ところが、この『Ghost of Tsushima』では、オープニング映像に気をとられているうちに、いきなり戦場に放り込まれてしまう。俺には、かつて『ファイナルファンタジー2』のプレイ開始直後に唐突に戦闘が始まって「くろきし」4体にボコボコにされた時の恐怖が蘇った。

境井仁と愛馬は海岸に到達していた。画面に「四角ボタンで刀を振れ」と表示される。無我夢中で刀を振るい、蒙古兵をなぎ倒す。敵軍からは例の投擲弾がアラレのごとく降ってくる。歴史の時間に習った「てつはう」というやつなのだろうが、まるで第一次世界大戦の野戦砲かのように遠方から凄い勢いで撃ち込まれてくる。

「南無釈迦牟尼仏

俺は仏の加護を求めた。浄土宗は阿弥陀様に縋るが、曹洞宗はお釈迦様に頼るらしい。この時代の武士は曹洞宗臨済宗など禅宗を好んでいたから境井仁もお釈迦様に加護を求めたに違いない。仏に願いが届いたのかどうか、境井は敵弾を躱しながら砂浜を疾走した。しかし、ついに一発の砲撃が近くで炸裂し愛馬ごと砂浜に投げ出されてしまった。

境井は無事だったが愛馬は死んでしまった。俺は、『ワンダと巨象』の最後のステージで、俺の身代わりに谷底に落ちていったアグロのことを思いだして悲しくなった。だが、悲しみに暮れている暇はない。境井は立ち上がり、残った侍とともに蒙古の兵に戦いを挑んだ。「R1ボタンで防御しろ」と表示される。俺は、四角ボタンとR1ボタンを駆使して必死で戦った。俺には『ダークソウル』シリーズで培ったアクションスキルと折れない心がある。『SEKIRO』も履修済みだ。だが、このゲームにはロックオンのボタンが無いらしく、戦闘に慣れるには時間がかかりそうだった。

気がつくとその場の蒙古兵は全滅していたが、対馬の侍もほとんどが斃れ、立っているものは境井と志村殿の二人だけだった。志村殿は境井を鼓舞し刀を掲げて走り出した。

「残された道はただ一つ。敵将を見つけ出し討ち取るのみ」

そうだ。命の限り戦って敵軍の侵攻を遅らせる。それが俺の誉れだ。もはや軍勢とも呼べぬ二人きりになってしまった以上、己自身を刀として敵の急所に狙いすました突きを入れる以外に手はない。

「最期までお供いたします」

「よく申した」

仏に願いが通じたか、二人の目の前に、あの蒙古の偉丈夫が現れた。卑劣なやり方で安達殿を殺した男だ。境井と志村殿は雄叫びをあげて躍りかかった。次の瞬間。

目の前で大きな閃光が走ったのを最後に、境井は気を失った。